屋根の雨漏りが見つけられない
挫折を乗り越えた
今だからこそ
屋根からの雨漏りの専門家
として雨漏りを解決するだけ
ではなく不安を取り除き
「安心して暮らせる」を
提供している
札幌市手稲区の齊藤板金
代表齊藤宏之です
「やもりびと」として活動しています
断捨離をする上で
参考にしているのが一年以内に
使ったかどうか着用したかどうか
こうなると不要なものがたくさんあることに気づきます
ゴミとして捨ててしまうか
お店へ持ち込んで売るか
メルカリなどで売ることになります
すぐに処分したかったので
買取店に持ち込み査定を受けますが
ここでつく価格は基準があるのかどうか
ある程度品質が担保されているものであれば
それなりの値段がつけられますし
色褪せがあるものであれば
買取は不可であり返されます
ただ少なからず見る人によって
「結果」が変わります

一定のルールがあったとしてもです
これが色んな人へ聞くことで
よりわかりにくくなる要因のひとつであり
私たちの見る中においても
特になぜ同じ家でありながら
判断が違っています
雨漏りを専門としているだけに
お聞きするのは
「部分修理で大丈夫」という方と
「葺き替えが必要」と方がいて
どちらが正しいのか分からない
実はこれは珍しい話ではなく
見る人によって結果が変わるからです
これは知識量の差だけではなく
その人が「何を基準に見ているか」
によって結論が変わるというわけです
雨漏りそのものは、一つの現象であり
水が入り込みどこかから漏れているという
この事実は変わりません
しかしその現象をどう捉えるかは
どの程度の直った期間を維持するか
といった基準によって大きく変わります
同じ屋根を見ても
見る人の基準が違えば
導き出される答えも違うということがあります

最も大きな違いとなるのは
「今を止める人」と「先を見る人」であり
今この水を止めることを最優先に考えると
その基準では
漏れている場所を塞ぐ
とりあえず水が止まればOK
再発したらまた考える
という判断になります
一方でこの家をこの先どう守るかを基準に見ると
その場合は
水はどこから入っているのか
なぜ今漏れたのか
数年後に同じことが起きないか
という視点で雨漏りを見ます
どちらも間違いではありません
ただ基準が違うだけです
また雨漏りで感覚が最もズレやすいのが
「直った」という言葉の定義です
雨が止んだ=直った
応急処置で様子見=直った
原因を解消した=直った
このどれを「直った」と考えるかで
選ばれる工事内容は大きく変わります
トラブルになるのは
この定義が共有されないまま工事がなされることです
雨漏りの判断や意見が割れると
「どちらが技術的に正しいのか」と考えがちですが
実際のところ技術の優劣や
経験年数よりも
その人がどの立場で雨漏りを見ているか
の影響が圧倒的に大きく
工事を前提に見る人
応急対応を前提に見る人
診断として見る人
立ち位置が違えば
見ているポイントも導く結論も変わります
だから「判断材料」が必要になりますし
基準が必要になります
なぜその結論になったのか
どこまでを見てそう判断したのか
これが説明されないままでは
後から不安や後悔が残ります
これは「誰に見せるか」で
結果が変わるとも言えるでしょう
雨漏りは薬を処方する前の診断とよく似ていて
痛み止めを出すのか
検査をするのか
手術を勧めるのか
どれもその医師の判断基準によって決まります
雨漏りも全く同じです
誰に見せるかで結果が変わる
だからこそ大切なのは
その人の基準はどこにあるのか
自分はどこまでを求めているのか
これをすり合わせることです
今だけを止めたいのか
数年後も安心したいのか
繰り返さないことを重視するのか
その基準によって
選ぶべき答えは変わります
雨漏りで本当に大切なのは、
「どの答えが正しいか」ではなく
自分の基準に合った判断かどうかが必要です
Profile
屋根の雨漏りが見つけられない挫折を乗り越えた今だからこそ、屋根からの雨漏りの専門家として雨漏りを解決するだけではなく不安を取り除き「安心して暮らせる」を提供している
札幌市手稲区の「齊藤板金」代表の齊藤宏之です